渡辺京二さんの講演録
- 4月2日
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真宗寺とも親交の深かった思想史家の故渡辺京二さんが1980年代に真宗寺で開いた連続講演が書籍化された。
熊日新聞さんから依頼があり、恥ずかしながら寄稿させていただいた。私自身、子どもの頃から京二さんからは多くの影響を受けてきた。文章を書きながら、改めて京二さんに出あわせてもらった気がする。
「小さきもの」に向けたことば
数年前にお寺の物置部屋を整理していた時、渡辺京二さんの肉声が収められたカセットテープが100本以上見つかった。1980年から85年に、「京二塾」と題して真宗寺で行われた講演会の録音記録だ。
講演は、京二さんの生活の足しに少しでもなればと、作家の石牟礼道子さんの発案で始まったそうだ。最初の数回は寺の隣にあった石牟礼さんの仕事場で、寺に住む若者ら数人を相手に始まったとのこと。人数が増えてきて手狭になり、場所を寺に移して5年間続けられた。当時の住職だった私の祖父は「自分の知らなかった歴史を埋めてもらった気がする」と話していたそうだ。
祖父が京二さんや石牟礼さんと深い付き合いをしてきたため、私にとっても2人は幼い頃から非常に身近な存在だった。京二さんには、石牟礼さんの仕事場で家庭教師をしてもらっていた。
その講演録が2冊の書籍になって出版された。内容は広い視野と緻密な考察がなされており、テーマも多岐にわたっているが、この本の中で、京二さんが講演の目的をこう語っておられる。「ここでの私の話は、いつもお断りしている通り、お寺の若い方々にお話しするということで、易しい話をすることにしています。要するに今日は、私たちの時代であれば聞かんでもいいようなことを、おさらいしておきたいと思うのです」
京二さんにとって、この講演会は決して学術的なことや、自分の研究の成果を披露する場所ではなかった。「勉強しなさい。そうすれば、私のように少しは利口になる」が、京二さんの口癖だったが、人間はちゃんと学ばなければ、自分の足で立って自分の頭で考えることができないということを若者に教えたかったのではないだろうか。
思い返すと、子どもの頃からたくさんの「ことば」を京二さんからもらってきた。直接の言葉だけではなく、勧められた多くの本を通すこともあった。小学生の頃は『小公子』『小公女』など世界児童文学に始まり、『ナルニア国物語』『指輪物語』などファンタジー。中学生になると宮沢賢治や萩原朔太郎などの詩集。高校生になるとドストエフスキー、トルストイ、ソルジェニーツィンなどのロシア文学も入ってきた。
私は歴史小説が好きで、「よく司馬遼太郎を読んでいる」と話すと、「そんなものは読まなくていい」と、山田風太郎の本を何冊もいただいたことがあった。結婚のお祝いは漢文学者・白川静さんの『字通』『字統』『字訓』の3冊。亡くなる3年ほど前には、自分の書庫には置けないからという理由で、『古事類苑』なる分厚い全51冊の類書をいただいた。さすがにこれだけはまだ一度も開いたことがない。
世の中には、さまざまな場所に、さまざまな生き方をしている、名もなきさまざまな人が「小さきもの」として存在しているということを教えてくれたのも京二さんだ。
講演の中で「とにかく思想的によってもイデオロギーによっても、政治的事業をもってしても捉えることもできない一つの人間がここにいたことを話したかったのです。」と語っていた。よりどころを求めてお寺に集まる「小さきもの」たちを前に、「小さきもの」の生涯を語る京二さんの姿がこの本の中にある。
亡くなる2週間前、最後に真宗寺に来られた際に私の顔を見るなり開口一番、「僕はもう死ぬからね」と言われた。講演録を読むと、「あとは託したからね」という声が聞こえてくる。





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